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呃……为什么会发到这里来,纯粹是因为觉得眼泪也是水……
本来是发在自己blog上的,想看看这里的大家都看不看故事也就发过来了……
我的blog地址:qqzzmak41.blog.163.com
在google上搜索tommystn,第一个结果竟然就是俺blog,突然觉得自己人气高……还是,只是这个帐号没多少人会跟自己一样咧……
大家爱看的话,会继续贴的……
九十九の涙(九十九滴眼泪)其实是个游戏。与其说是游戏,不如说是个互动的电子书吧。
每天睡觉之前都会用5到10分钟看一个故事,写几句感想,写感想这个程序也是在游戏里面完成的,用触控笔……只是写感想只限两行字,也就大概三十个空格左右吧,一般都是一两句话的感想,其实很多时候是写不出什么的,因为眼泪已经点点滴滴,或者哗啦哗啦地在流了。
想翻译一下这些故事,跟来这里看的人分享一下,也就当是自己的一天一小练吧。只要网络能用,就一天一篇坚持下去直到这游戏的故事都被读完为止。
二级考试的报名没抢成,点了外省,交了钱,又退选了。好像这样就没了350块,还什么都没得到。
不过其实也没关系,二级报不了就三级吧,一步一步来,踏实一点也是好的。三级也没法在广州考,咱就下一年吧。一年把二级一级都考了。
开始吧,第一个故事。首先是日语原文,下面是翻译。
控え室のドアがノックされた。お母さんに支えられるようにして、ぽんちゃんが入ってくる。この日のために借りたモーニングは、すっかり細くなったぽんちゃんは、大きすぎるようだ。
「今日はありがとう。よろしくね、ぽんちゃん」
白いドレスに着替えたわたしが言うと、ぽんちゃんは何度も瞬きしながら聞いてきた。
「ヴァージンロードはおかあさんとあるけばよいのではないですか?」
「ううん、いいの。わたしは、ぽんちゃんから新郎に手渡されたいの。」
「。。。ぼくがみはるちゃんをしんろうにてわたす。」
確認するように呟いた後、ぽんちゃんはやっとなずいてくれる。
「よろしくおねがいです。」
敲响了休息室的门,妈妈搀扶着的阿本走了进来。为了这天特意借来的礼服,穿在阿本渐渐瘦削的身上,显得很大。
“今天谢谢了。拜托你咯,阿本。”
换了婚纱的我这么说着,阿本听着,一次又一次点头。
“婚纱之路不和妈妈一起走吗?”
“嗯,不要。我想,让阿本亲手把我交给新郎。”
“……让我亲手将美晴托付给新郎啊。”
像在确认一样嘟哝了一阵,阿本终于点头答应了。
“那拜托你咯~”
ぽんちゃんは本田秀市という立派な名前があるが、わたしもおかあさんも『ぽんちゃん』しか呼んだことがない。おとうさんが『ぽんちゃん』と呼んでいたからだ。考える時間がかかり、喋り方も動き方もゆっくり、だけどちぎり絵は誰より上手なぽんちゃん。彼の初めての『友達』が、おとうさんだった。二人の交流は小学時代から途絶えることなく続き、やがておとうさんか見初めた女の人もぽんちゃんと仲良くなった。そよ女のひとがやがておとうさんの奥さんとなり、子どもがうまれると、ぽんちゃんはその子を宝物のようにかわいがってくれたそうだ。その大きなお腹のもたれたドーナツを食べたり、絵本を読んだりしていたことを覚えている。
阿本的本名叫本田秀市,一个很好的名字。但是我和妈妈都只叫他阿本,因为爸爸就这么叫他的。阿本想问题总是很久,说话慢动作也慢,但说到ちぎり絵(一种绘画形式,不懂翻译所以……)的话却比谁都厉害。阿本的第一个朋友是爸爸,两个人的交往从小学开始就没有断过,就连爸爸一见钟情的对象也跟阿本很要好。后来这个女子成了爸爸的妻子,生了孩子。阿本把这个孩子当宝一样溺爱。吃着大罐子里面装的甜甜圈,读图画书,这些事情我都记着。
わたし達家族とぽんちゃんを結ぶ糸は、わたしが4歳の時におとうさんが死んでから、よりいっそうかたくたしかになった。かけがえのない
『友』であり
『夫』であり
『父』であった。
一人の人間が抜けた大きな穴を埋めるためには、三人が寄り添って力をあわせるしかなかったのだ。
月日は流れる。わたしが17歳になった年、ぽんちゃんの母親が亡くなった。肩を落としたぽんちゃんをおかあさんは家に招き、「結婚したい」とわたしに告げた。
「ぽんちゃんと家族になちたいの」
わたしは黙って席に立った。うまく笑えなっかた。うなずけなかった。
「いいよ」という言葉が心の穴に落っこちて、どうしても拾い上げる事ができなかった。
わたし中学に上がっ頃から、ぽんちゃんを恥じるようになっていた。あんなに大好きなぽんちゃんと離れて歩きたがり、偶然会ったぽんちゃんに呼ばれても聞こえないぶりをして、ぽんちゃんが他人でありつづけることを強く望んだ。
わたしは弱くて、汚かった。
高校卒業と同時に、わたしは家を出た。美容師見習いとして働きながら学校に通う日々の中、ぽんちゃんの内側から締め出した。自分がした醜い仕打ちと共に流してしまった。
ぽんちゃんからはちぎり絵の手紙が折々届いた。クリスマス、年賀、暑中見舞い、高校卒業、専門学校入学と卒業、そして就職、ぽんちゃんのちぎり絵はわたしの季節を彩った。作品の横には必ず小さな文字で
「みはるちゃん おげんきで」
と添えてあった。
ひらがなしか書けないし読めないぽんちゃんは、いつも同じ言葉を残した。
29歳で結婚を決めたわたしに、おかあさんが打ち明けた。
「ぽんちゃん、おとうさんと同じ病気にかかっちゃった」
目の前の景色が突然くらくらと揺れるたちのわるい船酔いのような気持ち。これが「後悔」なんだと知る。
我们家人和阿本真正牵连起来,是在我4岁的时候。爸爸去世,“相依为命”这个词真成了现实。爸爸是无可替代的
朋友
丈夫
和父亲。
为了填补失去一个人的巨大伤痛,活着的三个人除了一起努力生活,别无他法。
日升月沉,我十七岁的那年,阿本的母亲去世了。妈妈把没有亲人要扶养的阿本请到了家,告诉我说要跟阿本结婚。
“我想阿本也成为我们家的一份子。”
我沉默地离开座位,笑不出来,也无法点头同意。
“好啊。”
阿本这句话一直落在我心里,我怎么也无法拾起来。
从上了中学开始,我一直为阿本做这样的事情感到羞愧。于是,我总得跟喜欢的阿本离得远远地走;偶然碰见了,阿本叫唤了,我只当没听见。我就这样,希望一直把阿本当作陌生人。
我如此脆弱,又如此肮脏。
高中毕业之后我离开了家。在每天美容师实习和上学的生活里,我把阿本所在了心的门外,跟自己见不得人的所作所为一起。
时不时都会收到阿本寄来的ちぎり絵的信。圣诞节,新年,盛夏的问好,高中毕业,进入大专和毕业,还有工作。阿本的ちぎり絵,给我的季节添上色彩。
在信的旁边总是用小小的字体写着这么一句
“晴美 要保重身体啊。”
只会读写片假名的阿本,一直都写着这么一句。
在我29岁决定结婚的时候,妈妈告诉了我真相。
“阿本他,跟你爸爸一样患了同样的病。”
眼前的景色突然昏眩摇动,像晕船一样的感觉。
我懂得了,这就叫“后悔”。
鐘が鳴る。
わたしはぽんちゃんの腕をとってヴァージンロードを歩き出す。新郎の前まで来ると、ぽんちゃんは彼に深いお辞儀をした。いつまでも頭を上げるようとしなっかた。
「ぽんちゃん」
わたしが声をかけるとやっと姿勢を戻す。その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
「みはるちゃん おげんきで」
ぽんちゃんは大きな声で、ゆっくりおそう告げた。
大钟响了。
我牵着阿本的手,向婚纱之路迈出了脚步。走到新郎面前,阿本没有像往常一样抬着头,而是对着新郎深深鞠躬。
“阿本。”
听到我的声音之后他终于直起身子,泪流满面。
“晴美,要保重身体啊。”
阿本大声地,慢慢地对我说。
ぽんちゃんの棺には結婚式の写真を何枚が入れた。ぽんちゃんはどれも泣きべそをかいて写っている。
幸せで
嬉しくて
でも寂しそうに泣いている。
花嫁の父が写っている。
在阿本的棺材里放着几张婚礼的照片。每张照片上的阿本都是那张要哭的脸。
一张幸福的
快乐的
但寂寞地哭着的
新娘的父亲的脸。
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